抱擁のかけら
2010-10-22(Fri)
ペネロペが眩し過ぎる~★
アルモドバル監督の世界はさすがに濃密だわ~★
破り捨てた過去の断片が今蘇る。
人は喪失感から立ち直る事ができる・・・

監督:ペドロ・アルモドバル
製作:2009年 スペイン
出演:*ペネロペ・クルス *ルイス・オマール *ブランカ・ポルティージョ
*ホセ・ルイス・ゴメス *タマル・ノバス *ルーベン・オチャンディアーノ
愛から逃げて、愛と出逢う
元映画監督のマテオ(ルイス・オマール)は、
今は脚本家ハリー・ケインとして生活している。
目が不自由なため、アシスタントのジュディット(ブランカ・ポルティージョ)と
その息子ディエゴ(タマル・ノバス)の力を借りている。
ある日の事、ライ・X(ルーベン・オチャンディアーノ)と
名乗る男の訪問をきっかけに、
14年間封印してきた過去の記憶を辿る事になる。
それは、レナ(ペネロペ・クルス)と言う美し過ぎる女との
激しく深い愛の物語だった・・・
レナは女優になる夢を捨て切れず監督マテオの所へやって来る。
すぐに恋に落ちる2人だが、レナには大実業家のパトロン
エルネスト(ホセ・ルイス・ゴメス)がいた。
エスネストは老いからくる劣等感で、
レナに強い執着心を見せ、2人に激しく嫉妬する。
社会的にもしっかりした2人の大人の男達が
虜になって我を失う程のめり込んでしまう女を、
妖艶なペネロペが演じています。
もう本当に美しいしキュートだしセクシ~~!
誰もが心を奪われるような最高の瞬間を切り取って映し出してますね。
魅力的に残したいって言う撮り手の気持ちまで伝わって来るよう。
監督マテオがもう少し若い男だったら、
私のテンションももっと盛り上がったんだけど(^^;
多分、アルモドバル監督自身の私情もあったのでは?
なんて、勝手に想像してしまった(≧ε≦)
ネタバレあります
エルネストが息子に、レナ達をずっとビデオ撮影して
監視させるって言うのは、ストーカー的。
その映像を見て、読唇術の人に会話を読み取らせるって
言うのも、すごい執念。
普通はここまで行動しないだろうけど、
内心やってみたいと思わせるようなギリギリの変態めいた所を、
今回もアルモドバル監督は見せてくれてます。(^▽^;)
マテオとレナはエルネストの束縛に耐え切れず、
スタッフなどを裏切るような形で逃避行に出る。
その結果、マテオは大切な人と光と職を失う・・・
マテオを葬り去ってハリーとして生きて来た理由が
この中盤で分かります。
14年間、大きな喪失感の中で別人として暮らしてきたんですね。
しかし、ディエゴに封印した記憶を語るうちに、
過ぎ去った思い出として客観的に見られるようになったのでは?
14年前にエルネストの嫌がらせで、
酷いシーンばかりを繋いで公開されたマテオの映画、
「謎の鞄と女たち」の元のテープがあると分かり、
それを編集し直し 再び蘇らせます。
こういう劇中劇と言うのも、アルモドバル監督作品では
前にもあったけど、本筋とは全く違った雰囲気のものを
持ってくるんだよね~
「見て鳥肌よ」と腕を見せる仕草がまた笑える(≧▽≦)ノ
過去の映画や写真を繋ぎ合わせ、新しい形で再生する事で、
まさにマテオ自身も新しく再生していくんですよね。
その横に、常に彼に寄り添って見守ってきた
ジュディットの愛が切なく見えます。
めくるめく激しい愛もあれば、
胸の内に大切にしまっておく愛もあります。
いつかマテオにも気付いて欲しいなあ。いい息子だし。
最後の映画作りに対する思いは、
アルモドバル監督が描きたかったもう一つの狙いだったのでは。
映画は、被写体のその瞬間の輝きや情熱などを
切り取って永遠に残す物。
最高の形で完成させる事が大事なのだ。
そして映画は、再生される度に、
新しい形となって生まれ変わるものじゃないだろうか。
そんな映画の作り手の思いも感じられました。
アルモドバル監督の世界はさすがに濃密だわ~★
破り捨てた過去の断片が今蘇る。
人は喪失感から立ち直る事ができる・・・

監督:ペドロ・アルモドバル
製作:2009年 スペイン
出演:*ペネロペ・クルス *ルイス・オマール *ブランカ・ポルティージョ
*ホセ・ルイス・ゴメス *タマル・ノバス *ルーベン・オチャンディアーノ
愛から逃げて、愛と出逢う
元映画監督のマテオ(ルイス・オマール)は、
今は脚本家ハリー・ケインとして生活している。
目が不自由なため、アシスタントのジュディット(ブランカ・ポルティージョ)と
その息子ディエゴ(タマル・ノバス)の力を借りている。
ある日の事、ライ・X(ルーベン・オチャンディアーノ)と
名乗る男の訪問をきっかけに、
14年間封印してきた過去の記憶を辿る事になる。
それは、レナ(ペネロペ・クルス)と言う美し過ぎる女との
激しく深い愛の物語だった・・・
レナは女優になる夢を捨て切れず監督マテオの所へやって来る。
すぐに恋に落ちる2人だが、レナには大実業家のパトロン
エルネスト(ホセ・ルイス・ゴメス)がいた。
エスネストは老いからくる劣等感で、
レナに強い執着心を見せ、2人に激しく嫉妬する。
社会的にもしっかりした2人の大人の男達が
虜になって我を失う程のめり込んでしまう女を、
妖艶なペネロペが演じています。
もう本当に美しいしキュートだしセクシ~~!
誰もが心を奪われるような最高の瞬間を切り取って映し出してますね。
魅力的に残したいって言う撮り手の気持ちまで伝わって来るよう。
監督マテオがもう少し若い男だったら、
私のテンションももっと盛り上がったんだけど(^^;
多分、アルモドバル監督自身の私情もあったのでは?
なんて、勝手に想像してしまった(≧ε≦)
ネタバレあります
エルネストが息子に、レナ達をずっとビデオ撮影して
監視させるって言うのは、ストーカー的。
その映像を見て、読唇術の人に会話を読み取らせるって
言うのも、すごい執念。
普通はここまで行動しないだろうけど、
内心やってみたいと思わせるようなギリギリの変態めいた所を、
今回もアルモドバル監督は見せてくれてます。(^▽^;)
マテオとレナはエルネストの束縛に耐え切れず、
スタッフなどを裏切るような形で逃避行に出る。
その結果、マテオは大切な人と光と職を失う・・・
マテオを葬り去ってハリーとして生きて来た理由が
この中盤で分かります。
14年間、大きな喪失感の中で別人として暮らしてきたんですね。
しかし、ディエゴに封印した記憶を語るうちに、
過ぎ去った思い出として客観的に見られるようになったのでは?
14年前にエルネストの嫌がらせで、
酷いシーンばかりを繋いで公開されたマテオの映画、
「謎の鞄と女たち」の元のテープがあると分かり、
それを編集し直し 再び蘇らせます。
こういう劇中劇と言うのも、アルモドバル監督作品では
前にもあったけど、本筋とは全く違った雰囲気のものを
持ってくるんだよね~
「見て鳥肌よ」と腕を見せる仕草がまた笑える(≧▽≦)ノ
過去の映画や写真を繋ぎ合わせ、新しい形で再生する事で、
まさにマテオ自身も新しく再生していくんですよね。
その横に、常に彼に寄り添って見守ってきた
ジュディットの愛が切なく見えます。
めくるめく激しい愛もあれば、
胸の内に大切にしまっておく愛もあります。
いつかマテオにも気付いて欲しいなあ。いい息子だし。
最後の映画作りに対する思いは、
アルモドバル監督が描きたかったもう一つの狙いだったのでは。
映画は、被写体のその瞬間の輝きや情熱などを
切り取って永遠に残す物。
最高の形で完成させる事が大事なのだ。
そして映画は、再生される度に、
新しい形となって生まれ変わるものじゃないだろうか。
そんな映画の作り手の思いも感じられました。