ぼくを葬る
2009-04-21(Tue)
オゾン作品、続けて観ました。
急な用事で忙しくなり、記事UPは一週間も間があきましたが。
余命幾ばくも無いと知らされた時、
残された時間を、人は何を思いどう過ごすのか?
この主人公に半分は共感できたけど、半分共感できなかった・・・

監督:フランソワ・オゾン
製作:2005年 フランス
出演:*メルヴィル・プポー *ジャンヌ・モロー *クリスチャン・センゲワルト
余命3ヶ月――。あなたは何が残せますか?
31歳のロマン(メルヴィル・プポー)は、
カメラマンとして仕事もノッている時に、
思いもしなかった末期癌で余命3ヶ月と宣告される。
ネタバレあります
家族や恋人など身近な人にはこの事を打ち明けない。
絶望感がすごいはずなのに、
わざと相手を遠ざけるように冷たい言葉を吐き、
自分の葬(おく)りびとは自分一人だけという選択をするんですね。
身辺整理をしながら、孤独に死と向き合おうとする姿が痛々しい。
だけど祖母だけには正直に打ち明けます。
それは多分、祖母なら取り乱さずに、自分の話を
ドッシリと構えて聞いてくれると思ったからではないでしょうか。
このジャンヌ・モローはそんな懐の大きさを感じさせ、
しかもフェロモンが匂い立つようで、圧倒されましたわ~(゚o゚)
親しくも無い不妊症の夫婦から子供を作ってほしいと
奇妙なお願いをされます。
思いがけず、自分が生きた証を残せるチャンスが出来て、
受身から一転、積極的に行動するロマン。
新しい命を残せて安堵したかのように、
その後のロマンは次第に穏やかな表情に変化していきます。
私が共感できたのは、ラストの海のシーン。
人々の声と波の音を耳にしながら、自然に返っていくような最期は、
悲しいと言うより美しくていいなあと思ったなあ。
それはとても孤独に見えたけどね。すごく痩せちゃって。
人は孤独に生まれて孤独に死ぬと言っているような姿でした。
現実社会から静かにフェイドアウトする・・・
そんな気持ちを表すかのようにロマンは優しい表情でしたよ。
このロマンの取った行動は、天涯孤独の人なら
理想的な自分の葬(おく)り方だと思います。
でも、ロマンには家族も恋人もいた。
彼らはロマンがゲイでも理解していたし、愛していた。
つまり、たった一人でこれまで生きてきたわけじゃないでしょう。
彼の選択は、それはそれでありだと思うけど、
自己中心的な完結と言えるのではないのか?
もし自分ならどうするか?と誰でも考えるでしょう。
私は、身近な人達に温かく見守られるのを特に望んでないし、
死ぬ時はロマンのようにさり気なく逝きたいと思ったりして。
ただ、生きている間に多くの人にお世話になったので、
お礼だけはキッチリ言いたいなと思います!
死期を目の前にした時、「ありがとう」と自然に出てくるものでしょう。
それがロマンには欠けてるんですよね~若いからかな。
ロマンは人との関係を断ち切って、ただ一人で死と向き合う事が、
美学だと思ったのかな。
この辺りが共感できない部分なんです。
あと、ロマンは身近な人達の姿を密かにカメラに
納めていきましたね。
姉の姿を背後から写すシーンは目頭が熱くなった~(;_:)
あれは、自分の心にみんなの姿を焼き付ける行為であったと共に、
彼の遺書でもあったと思うんですよ。
ロマンの死後、人々は写真を見ながら彼の真意を知るでしょう。
口では冷たい言葉を言っていたけど、
本来はこんなに愛情を持っていてくれたんだと。
そこでまた気になるのは、両親の写真だけがない事!
両親に対しては「撮る気が起こらない」と言ってましたね。
映画って、誰の立場で観るかによって、
感想が異なってくるんですよね~
主人公の立場で観ると潔さを感じて感動もあるけど、
親の立場で観ると、なぜ親がスッポリと抜け落ちているのか、
すごく気になるし、納得できないなあ。。。
少年時代の回想シーンが何度も出てきますが、
あれは汚れを知らなかった純粋な頃の自分を懐かしく
振り返っていたんでしょうか?
いつも隣に姉がいたように、親も傍にいたでしょうに。
親には何も残さずに逝ってしまって、
それでも満足して旅立てたのかな。
美しいラストシーンを見ながら、違和感も感じたのでした。
急な用事で忙しくなり、記事UPは一週間も間があきましたが。
余命幾ばくも無いと知らされた時、
残された時間を、人は何を思いどう過ごすのか?
この主人公に半分は共感できたけど、半分共感できなかった・・・

監督:フランソワ・オゾン
製作:2005年 フランス
出演:*メルヴィル・プポー *ジャンヌ・モロー *クリスチャン・センゲワルト
余命3ヶ月――。あなたは何が残せますか?
31歳のロマン(メルヴィル・プポー)は、
カメラマンとして仕事もノッている時に、
思いもしなかった末期癌で余命3ヶ月と宣告される。
ネタバレあります
家族や恋人など身近な人にはこの事を打ち明けない。
絶望感がすごいはずなのに、
わざと相手を遠ざけるように冷たい言葉を吐き、
自分の葬(おく)りびとは自分一人だけという選択をするんですね。
身辺整理をしながら、孤独に死と向き合おうとする姿が痛々しい。
だけど祖母だけには正直に打ち明けます。
それは多分、祖母なら取り乱さずに、自分の話を
ドッシリと構えて聞いてくれると思ったからではないでしょうか。
このジャンヌ・モローはそんな懐の大きさを感じさせ、
しかもフェロモンが匂い立つようで、圧倒されましたわ~(゚o゚)
親しくも無い不妊症の夫婦から子供を作ってほしいと
奇妙なお願いをされます。
思いがけず、自分が生きた証を残せるチャンスが出来て、
受身から一転、積極的に行動するロマン。
新しい命を残せて安堵したかのように、
その後のロマンは次第に穏やかな表情に変化していきます。
私が共感できたのは、ラストの海のシーン。
人々の声と波の音を耳にしながら、自然に返っていくような最期は、
悲しいと言うより美しくていいなあと思ったなあ。
それはとても孤独に見えたけどね。すごく痩せちゃって。
人は孤独に生まれて孤独に死ぬと言っているような姿でした。
現実社会から静かにフェイドアウトする・・・
そんな気持ちを表すかのようにロマンは優しい表情でしたよ。
このロマンの取った行動は、天涯孤独の人なら
理想的な自分の葬(おく)り方だと思います。
でも、ロマンには家族も恋人もいた。
彼らはロマンがゲイでも理解していたし、愛していた。
つまり、たった一人でこれまで生きてきたわけじゃないでしょう。
彼の選択は、それはそれでありだと思うけど、
自己中心的な完結と言えるのではないのか?
もし自分ならどうするか?と誰でも考えるでしょう。
私は、身近な人達に温かく見守られるのを特に望んでないし、
死ぬ時はロマンのようにさり気なく逝きたいと思ったりして。
ただ、生きている間に多くの人にお世話になったので、
お礼だけはキッチリ言いたいなと思います!
死期を目の前にした時、「ありがとう」と自然に出てくるものでしょう。
それがロマンには欠けてるんですよね~若いからかな。
ロマンは人との関係を断ち切って、ただ一人で死と向き合う事が、
美学だと思ったのかな。
この辺りが共感できない部分なんです。
あと、ロマンは身近な人達の姿を密かにカメラに
納めていきましたね。
姉の姿を背後から写すシーンは目頭が熱くなった~(;_:)
あれは、自分の心にみんなの姿を焼き付ける行為であったと共に、
彼の遺書でもあったと思うんですよ。
ロマンの死後、人々は写真を見ながら彼の真意を知るでしょう。
口では冷たい言葉を言っていたけど、
本来はこんなに愛情を持っていてくれたんだと。
そこでまた気になるのは、両親の写真だけがない事!
両親に対しては「撮る気が起こらない」と言ってましたね。
映画って、誰の立場で観るかによって、
感想が異なってくるんですよね~
主人公の立場で観ると潔さを感じて感動もあるけど、
親の立場で観ると、なぜ親がスッポリと抜け落ちているのか、
すごく気になるし、納得できないなあ。。。
少年時代の回想シーンが何度も出てきますが、
あれは汚れを知らなかった純粋な頃の自分を懐かしく
振り返っていたんでしょうか?
いつも隣に姉がいたように、親も傍にいたでしょうに。
親には何も残さずに逝ってしまって、
それでも満足して旅立てたのかな。
美しいラストシーンを見ながら、違和感も感じたのでした。