ミスト
2008-11-30(Sun)
この映画は予想外だらけ!
霧中のナニカも、一番の恐怖も、主人公の顛末も。
ラストは二度も衝撃に襲われる。
私は衝撃の向こう側まで行ってしまったぞ。

監督:フランク・ダラボン
製作:2007年 アメリカ
原作:スティーヴン・キング「霧」
出演:*トーマス・ジェーン *マーシャ・ゲイ・ハーデン *ローリー・ホールデン
霧(ミスト)の中には“何”が待っていたのかーー
映画史上かつてない、震撼のラスト15分
霧の中、スーパーに閉じ込められた人々が大混乱となる話ですが、
まず、霧という設定が上手いなあと思います。
視界が遮られて周囲の状況が全く分からない。
しかも、通信手段も機能していないから、
何の情報も得られなくて、疑心暗鬼になってもおかしくない。
霧の中へ出て行った者の叫び声だけが響き、
切られたロープは血だらけ・・・
全貌が見えないだけに、ものすごく想像が膨らむよね~!
突然出てきた怪物は正体不明だし(まさか姿を現すとは予想外)
人間を襲ってくるし、そりゃもうパニックですよ!
ここまででも充分恐い。
ところが、人間の変化が負けず劣らず恐くなっていきます。
極限状態の中で、だんだん狂っていく・・・
一番強烈なのは、宗教的解釈を押し付けてくる狂信女。
手にした黙示録をずっと読み上げて、
全ては神の御業だと人々の心を惑わします。
判断力を失った人は、しだいに狂信女の言う事に耳を傾け、
マインド・コントロールされていってしまいます。
最終的には、自分達以外の者に、「贖罪を」と
命を奪う程、凶暴になっていくんですね。。。
このあたりの変化がリアルなのかどうか、
正直言って信仰心のない私には分かりません。
だって「生け贄」なんて言葉を聞いた日にゃあ、
あたしゃ、そんなアブナい人の傍から離れたいけどね。
「あんた何様のつもり?」「神様のつもり!」みたいな女からは。
恐らく日本人だったら、狂信女を教祖様に祀り上げるまでは
ならないんじゃないかな?
私、あの女が早口で言ってる事が理解できなかったし~( ̄∇ ̄*)ゞ
だけど、宗教を抜きにしても、勢いのある者になびくという、
集団心理は絶対にある! 人間は一人だと弱いから。
ネタバレあります
問題のラストだけど、衝撃の大きさが
この作品をより強烈なものにしたと言えますね。
やりきれない思いを抱えながら、
どうしてこんな結末にしたのか考えてしまって、
ずっと余韻が残りましたよ。
主人公達は、スーパー内でも理性を保っていて、
いろんな策を講じていた方ですよね。
何もせずに死ぬよりは外へ行こうと車を出しました。
白い霧の中を進む車は、まるでノアの方舟のよう。
しかし、命綱のガソリンが切れて、もう為す術がない・・・
と私もそう思いましたよ。そう思わせる演出でした。
子供の「怪物に僕を食べさせないで」の言葉も
しっかり頭にあったし。
やる事はやり尽くしたから、仕方ない決断だと思いました。
ちょっと行動が早いとは思ったけど、
いずれ怪物に食べられるんだから、瞬間的に死んだ方が
みんなも楽になれるんじゃないかと、そう受け取りました。
親としては一番辛い選択をしたと言うのに、
最後の最後に見た光景は・・・
ここまで主人公を絶望の淵に落とすのは、いったいどういう事?
この作品の根底には「人間の傲慢さ」が描かれてましたね。
事の発端である軍の科学実験も人間の驕り。
狂信女が自分を教祖と勘違いしたのも人間の驕り。
そして主人公の最後の選択・・・人がその人のためにと
命をどうかするのも驕り、思い上がりだったんです。
ラストは、生死という神の領域を冒したから、
神の怒りをかったって事なんでしょうね。
(なんやかんやと言っても、この作品は宗教色が濃いなあ)
主人公が正しいと思い込んで行動した事が、
実は間違いだったと、気付かされました。
主人公を正しいと思っていた私も傲慢だったんです。
それだけはやってはいけなかった・・・
絶望的状況で感覚を狂わされたわ~
最初にスーパーを出て行ったオバサン、
子供二人を抱えて、トラックに乗ってましたね。
スーパーを出て行く時、「みんな最低だわ」と
捨てぜりふを吐いていったから、感じ悪かったのに。
ただ子供を救いたいという一途な思いで
生きる事を考えたから良かったんでしょうね。
正しいと思い込んでやっている事、
それが傲慢なんじゃないか?
人にも国にもそんな事を問いかけているように思えましたが、
みなさんは、どんな風に感じたんでしょうか。
霧中のナニカも、一番の恐怖も、主人公の顛末も。
ラストは二度も衝撃に襲われる。
私は衝撃の向こう側まで行ってしまったぞ。

監督:フランク・ダラボン
製作:2007年 アメリカ
原作:スティーヴン・キング「霧」
出演:*トーマス・ジェーン *マーシャ・ゲイ・ハーデン *ローリー・ホールデン
霧(ミスト)の中には“何”が待っていたのかーー
映画史上かつてない、震撼のラスト15分
霧の中、スーパーに閉じ込められた人々が大混乱となる話ですが、
まず、霧という設定が上手いなあと思います。
視界が遮られて周囲の状況が全く分からない。
しかも、通信手段も機能していないから、
何の情報も得られなくて、疑心暗鬼になってもおかしくない。
霧の中へ出て行った者の叫び声だけが響き、
切られたロープは血だらけ・・・
全貌が見えないだけに、ものすごく想像が膨らむよね~!
突然出てきた怪物は正体不明だし(まさか姿を現すとは予想外)
人間を襲ってくるし、そりゃもうパニックですよ!
ここまででも充分恐い。
ところが、人間の変化が負けず劣らず恐くなっていきます。
極限状態の中で、だんだん狂っていく・・・
一番強烈なのは、宗教的解釈を押し付けてくる狂信女。
手にした黙示録をずっと読み上げて、
全ては神の御業だと人々の心を惑わします。
判断力を失った人は、しだいに狂信女の言う事に耳を傾け、
マインド・コントロールされていってしまいます。
最終的には、自分達以外の者に、「贖罪を」と
命を奪う程、凶暴になっていくんですね。。。
このあたりの変化がリアルなのかどうか、
正直言って信仰心のない私には分かりません。
だって「生け贄」なんて言葉を聞いた日にゃあ、
あたしゃ、そんなアブナい人の傍から離れたいけどね。
「あんた何様のつもり?」「神様のつもり!」みたいな女からは。
恐らく日本人だったら、狂信女を教祖様に祀り上げるまでは
ならないんじゃないかな?
私、あの女が早口で言ってる事が理解できなかったし~( ̄∇ ̄*)ゞ
だけど、宗教を抜きにしても、勢いのある者になびくという、
集団心理は絶対にある! 人間は一人だと弱いから。
ネタバレあります
問題のラストだけど、衝撃の大きさが
この作品をより強烈なものにしたと言えますね。
やりきれない思いを抱えながら、
どうしてこんな結末にしたのか考えてしまって、
ずっと余韻が残りましたよ。
主人公達は、スーパー内でも理性を保っていて、
いろんな策を講じていた方ですよね。
何もせずに死ぬよりは外へ行こうと車を出しました。
白い霧の中を進む車は、まるでノアの方舟のよう。
しかし、命綱のガソリンが切れて、もう為す術がない・・・
と私もそう思いましたよ。そう思わせる演出でした。
子供の「怪物に僕を食べさせないで」の言葉も
しっかり頭にあったし。
やる事はやり尽くしたから、仕方ない決断だと思いました。
ちょっと行動が早いとは思ったけど、
いずれ怪物に食べられるんだから、瞬間的に死んだ方が
みんなも楽になれるんじゃないかと、そう受け取りました。
親としては一番辛い選択をしたと言うのに、
最後の最後に見た光景は・・・
ここまで主人公を絶望の淵に落とすのは、いったいどういう事?
この作品の根底には「人間の傲慢さ」が描かれてましたね。
事の発端である軍の科学実験も人間の驕り。
狂信女が自分を教祖と勘違いしたのも人間の驕り。
そして主人公の最後の選択・・・人がその人のためにと
命をどうかするのも驕り、思い上がりだったんです。
ラストは、生死という神の領域を冒したから、
神の怒りをかったって事なんでしょうね。
(なんやかんやと言っても、この作品は宗教色が濃いなあ)
主人公が正しいと思い込んで行動した事が、
実は間違いだったと、気付かされました。
主人公を正しいと思っていた私も傲慢だったんです。
それだけはやってはいけなかった・・・
絶望的状況で感覚を狂わされたわ~
最初にスーパーを出て行ったオバサン、
子供二人を抱えて、トラックに乗ってましたね。
スーパーを出て行く時、「みんな最低だわ」と
捨てぜりふを吐いていったから、感じ悪かったのに。
ただ子供を救いたいという一途な思いで
生きる事を考えたから良かったんでしょうね。
正しいと思い込んでやっている事、
それが傲慢なんじゃないか?
人にも国にもそんな事を問いかけているように思えましたが、
みなさんは、どんな風に感じたんでしょうか。