善き人のためのソナタ
2008-06-22(Sun)

監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
製作:2006年 ドイツ
出演:*ウルリッヒ・ミューエ *マルティナ・ゲデック *セバスチャン・コッホ
この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない
この映画は観て良かった~!
そんな風に思える作品にまた出会えた~★
旧東ドイツの独裁の実態をよくここまで暴露して、
しかも感動の人間ドラマに仕上げたもんです。
国家が個人の思想まで介入し、
危険分子だと思える者を完全盗聴・盗撮して24時間監視する。
そして反体制の発言をした者は、社会から葬り去られる。
一握りの政府高官の感情を害しただけでも、前途を絶たれる。
なんておぞましい!
こんな非人道的な事が、ベルリンの壁崩壊の1989年まで、
普通に行われていたとは・・・驚くことばかりでした。
社会主義国ってどこでもこんなに恐ろしいんだろうか。
壁崩壊後の情報公開も、そこまで全部公開していいの?と
逆に思うくらい、プライバシーも何もあったもんじゃない。
自由の意味がちょっとズレているような気がしました。
「HGW XX7に捧げる」って誰に捧げたかすぐに分かっちゃうね。
でも、ここは最高に感動するいいシーンだったなあ~
1984年、東ドイツの国家保安省(シュタージ)のヴィースラー大尉は、
国家に忠実な男で、それまで反体制的と思われる国民を
監視し尋問する事を情け容赦なくやってきました。
しかし劇作家のドライマンとその恋人を徹底的に監視するうち、
ヴィースラーの中に今までになかった人間らしい心が芽生えます。
最初にドライマンの舞台劇を観た時に、
まず女優(ドライマンの恋人)に惹かれたのかもしれません。
後々ヴィースラーは女優に「ファン」という言葉を2度かけてますよね。
「愛の表情」という人類愛に溢れた芝居のパンフレットを眺める仕草から、
演劇内容に本能を揺さぶるものがあったのかもしれません。
中佐が「ドライマンはシロだ」と言うのに、
自分が監視すると言い張ったヴィースラー。
最初の舞台劇鑑賞の時点で彼らに興味を持ったのは確かです。
ヴィースラーは「愛」というものには全く縁がなかった様子。
いつも同じ無表情でジョークに対しても笑わない。
何の飾り気もない部屋で、たった一人、
いかにも無味乾燥な生活をしているのです。
一方、監視する相手ドライマンの生活ぶりと言うと、
芸術家達とパーティを開いて、ある程度自由に語り合い、
愛する恋人と寄り添ってお互いを慈しみ合っています。
ヴィースラーが経験した事がない世界がそこにはありました。
辛い局面でドライマンが女を背中から静かに抱きしめる場面では、
そのすぐ上の裏部屋で、ヴィースラーは自分を抱きしめていた。。。
彼らが読む文学を読み、ソナタを聴いて涙していた。。。
ヴィースラーは、屋根裏で彼らを監視しながら、
生活を共有していたんですね。
そして味わった事のない感情に心を震わせていた。
権力をかざして女を手篭めにする大臣や、
昇進しか考えていない中佐よりは、
思った事を自由に表現したい、今の体制を変えたいと、もがく、
懸命な彼らの方に、自然と気持ちが寄り添っていったんでしょう。
芸術に対する真っ直ぐな気持ち、互いに愛する人を慈しむ思いは、
ヴィースラーにとって、ほのかな希望に思えたのでは?
その希望を消したくなくて、
ヴィースラーは本能的に行動したんだと思います。
ドイツ統一直後の様子も描かれていましたね。
民主主義になったからとすぐに活性化していったわけじゃなく、
何も信じられず反発する物もなく、ただ戸惑っていたようです。
ヴィースラーとドライマンは結局一度も言葉を交わしません。
でも、最後の最後「私のための本だ」のシーンで、
お互いの思いが通じ合った事が分かり、
一気に感動の波が押し寄せてきました!
ああ、良かったなあ。
本当にそう思える素晴らしいラストでした!
ただ、タイトルにもなっている「善き人のためのソナタ」が、
不協和音が多く、それ程良い曲に聴こえなかった。。。
せっかくの感動に水を差すようで、すいませんが(^_^;
#2006年度アカデミー賞外国語映画賞受賞