アイ・アム・レジェンド
2008-06-08(Sun)

監督:フランシス・ローレンス
原作:リチャード・マシスン「地球最後の男」
製作:2007年 アメリカ
出演:*ウィル・スミス *アリシー・フラガ
地球最後の男に希望はあるのか。
ネタバレあります
2009年、人間をモンスターに変異させる恐ろしいウィルスが
空気感染で広まって、N.Y.は封鎖されます。
逃げ惑いパニックになる市民。
恐怖と不安が生々しく迫ってきました。
この恐怖の事態を招いたものは何か?人間が創ったのだ!
病気を治そうとして作り出したウィルスが人類を滅亡させようとしていたのだ。
多くのSF映画にあるように、科学技術研究への警鐘がまずあります。
遺伝子操作など、何年か先に問題が出てくる研究もあるでしょうね。
家族は避難させ、自分は残ると言う主人公ネビル(ウィル・スミス)。
同じ科学者として、ネビルは罪悪感を持ったに違いないです。
何とか特効薬をみつけたい。
ウィルス発生源(グラウンド・ゼロと言ってました)を放り出す事はできない。
ここで頑張るのだ。 そんな気持ちだったと思います。
それから3年後の2012年から映画は始まります。
あの大都会N.Y.が廃墟と化しているじゃないですか。
ここは、驚愕の映像でしたね~
ネビルは愛犬サム相手に一方的な会話をする生活です。
電気は自家発電?水は管理者がいなくても出るものなのかな?
通信手段はない? 誰とも連絡を取り合っていないのを見ると、
どうやらたった一人だけ生き残ったようです。
ネビルにはウィルスに対して免疫があったし、
犬は空気感染しないとの事で。
ウィルス感染者はダークシーカーと呼ばれ、
光には弱いけど、非常に凶暴性を持ち俊敏で力も強い。
ワナを仕掛けたりグループ行動したりする知能はあるんですね。
理性はなく、人間を食糧としているところが恐ろしい!
ネビルは、昼は血清を作る実験をし、食料を補充し、
短波放送を流しながら生存者に呼びかける。
そして夜は、ダークシーカーに怯えて愛犬と背中を丸める。
そんな究極の孤独、私は耐えられない~!想像しただけでゾッとする!
でも、テレビ(ビデオ)を観たり、音楽を聴いたりと、
文化的な生活ができていたのは救いだったと思います!
ボブ・マーリーの♪心配ないよ、だんだん良くなるから♪を
唄いながら、自分自身を励まし奮い立たせていました。
それと愛犬サムがいつも側にいてくれたのも心強かった!
意思疎通のできるサムのおかげで、人間らしさを失わずに
おれたはずです。ところが、そのサムまでも・・・
本当にたった一人ぼっち残されては自暴自棄にもなるわね~
ここまで主人公の頑張りは、すごく良かったです!
そこに突如現れた母子。
その母子が久しぶりに人間と会ってもやけに落ち着いていたのは、
「神の計画」を信じていたからでしょう。
ネビルに会って、あるかどうかも分からない生存者の村に行く。
それは神の意思だと言います。
強い信仰心が彼女を支えてきたようです。
ネビルが不快そうに動揺するのもムリはないです。
生存者の情報なんて、一人で頑張ってきた自分には
一度も入ってきた事がなかったし、
科学を信じる自分に神のお告げなど信じられない、という気持ちでしょう。
だけど、ダークシーカーに襲われ、もう逃げられないという時に、
ガラスが蝶の形のようにヒビ割れ、
「蝶々よ」の娘の声が・・・
ここで急に、ネビルは神の計画なるものを直感してしまうんですね~
免疫があり科学者である自分の役割は血清を作る事。
後は、人類生存の可能性を蝶の刺青の母子に託そうとします。
この監督の前作「コンスタンティン」でも、
自己犠牲と神の配剤というキーワードが出てきたのを思い出しました。
こういう宗教的意味合いの結末は、私には理解しづらいんだけど。。。
「サイン」では、物事には全て意味があるとすんなり納得できたものの、
今作では突然「蝶々」が出てきたもんね。そう来たか~って感じ。
ラストでは、生命力のある者が種を守るために、
外圧にめげず困難に立ち向かっていく、
そんな神が定めた種の保存の法則を見た気がしました。
ネビルは選ばれし者の使命を果たして、伝説になったんですね。
<追記> 6月10日
エンディングが他にもあると聞いたので調べてみました。
(期限切れになっていたらすいません)
■こちらは、販売用DVD・ブルーレイに収められた「衝撃の別エンディング」らしいです。
■こちらは、たった30秒と短いですが、別バージョンがあったので貼ってみます。
比べてみると、ダークシーカーをただのゾンビ扱いにして爆破してしまう
2パターン(普通バージョンと30秒バージョン)は、イマイチですよね。
世界を救うために薬を作ると言い、それなのに
生存している人間などいないと矛盾した事を言うネビル。
ダークシーカーが単なる凶悪な怪物で消滅させなきゃいけないなら、
薬を作る意味すらなくなります。
「衝撃の別エンディング」のほうが深みがあると思います。
ダークシーカーが凶暴に振舞うのをやめ、ネビルと対峙します。
ダークシーカーにも「愛」という感情があり人間らしさがあると分かります。
化け物じゃなく、病気感染者で人間だったとネビルは気付くんです。
ダークシーカー、ネビルたち健康な者、それぞれの生活に向かっていく、
そちらのエンディングのほうが、まだいいですね。